人生という名の列車/馬場俊英

人生という名の列車

人生という名の列車

ちょっと前オープニング曲"ボーイズ・オン・ザ・ラン"がよくラジオで流れていて、暑苦しい歌やなあ(褒め言葉)、とちょっと気になっていた。そんな矢先、標題曲"人生という名の列車"を深夜のテレビ番組でライブで熱唱してるのを聞き、興味がめらめらと湧いてきて借りてみる。ふむ、こりゃしみますな。特に感じ入った標題曲のみを以下にレビュー。

このアルバム発表時点で、馬場俊英は40ちょっと前。それ以前の活躍を俺はほとんど知らないし、また、そんなにCDを出していないようでもある。だもんで多分遅咲きのアーティストであり、苦労人なんだろう。そんな彼の経験を綴ったらしいこの曲は庶民感覚にあふれていて、ドリフとかダブル浅野とか居酒屋でのイッキとか、30代なら思わずニヤリとさせられる歌詞がちりばめられている。軽快なメロディに乗って流れる彼の目を通した体験はおよそ30代の最大公約数を占める俺らの体験そのものであり、記憶の奥底から懐かしさやら甘酸っぱい何かやらを色々と引っ張り出してくれて、大いに共感してしまう。馬場俊英はあくまで自分のことを歌っているだけなのだと思うが、この歌は同時に聞く者自身つまり俺自身の歌へといつのまにか変貌してしまっているのだ。ただ決してノスタルジイに浸るだけのじめっとしたものではなく、むしろ曲調はあくまで軽快で時に力強い。

歌の中の物語は進み、懐かしい記憶は時間軸にそって次々と呼び覚まされ、つい最近の話へと至る。幼い頃頼もしく思えた両親や先生の年齢にいつしか近づき、それでも迷い、不安にかられる自分を鑑み、あの強かった大人たちも実は迷いながら生きていたのだと初めて気づく。そして、先人たちが迷い傷つきながらも人生を突き進んでいったように、自分も自分の人生を走っていくのだと、そんな気持ちが呼び起こされていく。まるで馬場俊英が俺の頭をこじ開けて記憶をなぞって歌っているかのようだ。あるいは俺自身の心が歌に誘導されているのだろうか。歌声は一層力強さを増し、歌詞と自分の気持ちがクロスして高揚し、何か得体の知れないエネルギーのようなものが沸いてくるのだ。

曲は10分に及ぶ力作だが、ややコミカルな歌詞や、テンポのよいポップな曲調は決して長いとは感じさせない。大事な誰かがいる人、親とけんかした人、仕事に疲れた人、なんとなく元気の無い人、そんな人はぜひ聞いてみて欲しい。懐かしい友人と思い出話にふけり、自分の人生を振り返るような、そんな10分間を味わえるはずだ。そして、聞き終えたその瞬間から、延々と続く先の見えない人生を再び突き進むための勇気が沸いてくることだろう。30代でなくてもおすすめ。