風の男 白州次郎

風の男 白洲次郎 (新潮文庫)

風の男 白洲次郎 (新潮文庫)

以前深夜番組のドキュメンタリーで白州次郎について触れていて、ちょっと興味が湧いていたところ、なんでも最近はちょっとしたブームなのだとか。本屋に行けば関連本が平積みになってたりもする。てなわけでブームに便乗して読んでみた。

白州次郎は戦後日本の復興期に際し、吉田茂のもと主にGHQとの交渉ごとなどにおいて大きな功績を残した人。その偉業もさることながら、そのキャラクターが際立っている。

・長身細身の美男子、父が貿易商を営み、後に事業に失敗するもそれまでは大金持ちのお坊ちゃん。
・17の頃イギリスに留学。仕送りは今の金で年5000万ほど
・当時非常に高価だった外車を2,3台買い与えられ乗りまわす。今で言えば自家用飛行機を2,3台所有しているようなものであった。


などなどのぶっとびスペック。当然モテモテであったらしい。
そのような環境下で培われた傍若無人ぶりは後々にまで発揮され、様々な逸話を残す。

・戦後昭和天皇からの贈り物をマッカーサーへ届けたとき、床に置いておくよう促したマッカーサーに対して「天皇陛下からの贈り物を床に置けとは何事か!」と一喝。
GHQの米国人高官に「キミは随分英語がうまいね」と言われたところ「あなたもイギリスに留学すればうまくなりますよ」と返す。


などなど、小説よりも奇な痛快エピソードが目白押しである。敗戦国であっても負い目を感じることはないと日本人としての矜持を保ち、周囲を鼓舞し、諸外国と渡り合い、敗戦国としての不平等な扱いを最小限に食い止める。遂には当時マッカーサーをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。カッコイイではないか。

俺はこういった成功者の話を読んだり聞いたりするのが好きである。自分の成功のヒントがどこかに隠れてやしないかと思うからだ。しかし、成功者のこうした痛快な話は成功したからこそ語られるんだよな。同じチャレンジをしても失敗に終わった人の方がはるかに多いはずだ。だってちょっと考えてみてくださいよ。例えば俺の会社が外資系に敵対的買収なんかで乗っ取られ、鬼畜米国人上司に「キミは随分英語がうまいねファキンジャップ」などと言われて「あなたもイギリスの現場にいけばうまくなりますよこのサノバビッチが」などと返すと「でか君、今度は北朝鮮支店で朝鮮語を学んできたまえHAHA!」などと飛ばされて帰って来れなくなり、歴史の闇に屠られてしまうのが現実ってもんなのだ。

従順ならざり、矜持を保ち、自分を曲げずに戦った白州次郎の生き方は素晴らしい。同じ日本人にかくも気高き先人がいたという事実は何がしかの勇気を与えてくれるし、自分もかく在りたいと思う。しかし、俺は近頃こうしたまばゆく輝いた成功者の話を読むにつけ、普通は同じような挑戦をしても敗れ去って、歴史の闇に葬り去られてしまうってことを思うようになってきてしまった。ある意味腹を決めればそんな勇気を振りかざすことの方が楽なときがある。しかし、消極的な意味ではなく、理不尽な現実と折り合いをつけながら生き抜く方が時に難しく、それもまた価値ある人生なのではないかと、そう考えようになってきてしまった。理不尽な取引先に振り回され、泥にまみれて屈辱にたえ、流したくもない涙を流し、作りたくもない笑顔を作る。こうして会社のために利益を生み、家族のために金を稼ぐ。多くの男はみんなそうではないだろうか(女もだろうが)。そんな当たり前の人生を当たり前のように歩いていくこともまた、価値があることなのだ。

・・・しかしながら白州次郎のようにカッコよく生きていきたいと思う自分はまだまだどこかに残っている。また時には理不尽な現実と折り合いをつけながら生き抜くことの大切さをひしと感じる。四十にして惑わずというが、30代の俺はまだまだ迷わなければならないなあ。

この本を読んでいて、そんな考えが浮き彫りになってきた。



追記

白州次郎は華やかな人生ばかりを送っていたわけではなく、苦労もしただろうし努力もしている。成功者は例外なくそうであるということは見落としてはいけないだろう。