店主のこだわり

ラーメンなんてのは最低限のマナーさえ守ってれば、およそしちめんど臭い作法など必要なく、個人が思い思いに食えばいいものだ。その気軽さがラーメンの魅力の1つなわけだが、それでもラーメンを一番うまく食べるためにはそれなりのコツというか、気をつけることがいくつかある。大した事ではないが、替え玉を頼むときにはスープを多めに残して頼むってのもその1つである。今ではこんなちょっとしたコツをわざわざ表記してくれている店も増えてきている。

結構前の話だが、とある店で替え玉を頼んだ。その店では色々とこだわっていて、上述の替え玉のコツなんかも表記してあり、他にも一部客の好みに合わせられない旨の注意書きなど色々と書いてある。こういった、さもこだわってます的な注意書きは時に実力と乖離していて仰々しく浮いていることが多い。ゆえにこの手のものは俺はあんまり好きくないのだが、この店に限ってはこだわりが味に見事に結実しており、さらに"お店が良しとする100%の味を楽しんで欲しい"という気概が見えて、むしろ好ましく思っていた。もっと言えば、俺はこの気概に惚れ込み、この店が好きだった。

俺は店の注意書きに倣い、スープはほとんどすすることなく、替え玉を頼んだ。頼んだはずだったのだが、注文ミスがあり、替え玉は俺のところに届かなかった。注文を通したアンちゃんは客と仲良くしゃべりながら、明らかに他のお客の注文をさばいていて、俺の替え玉に手をつける素振りが無い。俺の見えないところで作業が進んでいることを期待していたが、ついに麺を茹でる大釜の湯を変えようとしたので、俺の替え玉はまだかと問い正すと、「え、注文聞いてましたでしょうか?」とのたまった。

付け加えておくと、ミスはともかくとしてそのアンちゃんの態度そのものは悪くは無かった。「すいません、すぐ作りますので」と真摯に謝り、作業に入ろうとしたので、スープが冷めるから今から作るのならもういらんと辞退した。会計のときにも「本当に申し訳なかったです」と、再度の謝罪をもらったし、その態度そのものには何ら文句は無かった。しかし、俺はとてもショックだった。

人間だから誰にでもミスはある。ミスをした後どうリカバーするかで、その人の気持ちや力量が知れるのである。その点、アンちゃんの対応はまあマニュアル通りで及第点といって良い。しかしそれは"普通の店ならば"の話だ。このこだわりを謳った店においてはそうはいかない。いかないはずだ。その時替え玉の注文をしてから10分程はたっていた。当然スープは冷めかけてしまっている。その状態からアンちゃんは「今から作る」と言ったのだ。これはまずい。非常にまずいことですよ。ええ。ズイマーです。店の言うことを聞いて残したスープは店のミスによってこの時点でも既に冷めつつあり、100%の状態から刻一刻と離れていってるわけですから。待っとるヒマなんかあるかいな。

気づいて欲しくて「スープが冷めるから」と、辞退したのだが、ここでスープを温めなおすとか、新しいスープを入れてくれるとか、そういった提案が欲しかった。そういう申し出があれば、俺も納得しただろう。味にこだわればこそ、ミスをどう埋め合わせるかの答えは自ずと出てくるはずだ。ただ、お店の負担もそれなりだと思う。だからそういった申し出があれば辞退するつもりでいた。欲しかったのは対応そのものではなく、その底に脈打つ店の考えであり、意気込みだったのだ。それが無かった。ほんまにこだわっとるんかいな。本当に残念だった。大好きな店だっただけに本当に残念でならなかった。店内にはまだ他のお客がいたので、何も言わずに帰ってきたのだが、今は少し後悔している。

その店は今もこだわりの名店として人気を博していることと思う。しかし、その一件以来俺の中にどうしてもわだかまりが残り、足が遠のいてしまっていた。最近ようやくそのわだかまりが薄れてきたので、気持ちの整理の意味でここの書いてみようと思い立った。いつかまた、その店に行くことがあれば、次は本当のこだわりを示して欲しい。