ロッキー・ザ・ファイナル

DEka2007-05-24


エイドリアンが死んで孤独と燻りを感じながら余生を過ごしているロッキーが、テレビの企画をきっかけに再びリングに上り、現役世界チャンピオンと戦う。まあストーリーは大変にベタな展開で、結末もだいたい想像通りである。派手な演出はほとんどないし、終盤以外はフィラデルフィアダウンタウンが淡々と映る地味な映画であった。しかし、物語の中にはキラ星のように輝く忘れられないシーンがいくつも散りばめられている。


物語の中で、ロッキーは偉大な父親の陰でコンプレックスを抱えていじける息子ロバートに激しく詰め寄る。

人生ほど重いパンチは無い。大切なことは、どんなに打ちのめされてもこらえて前に進み続けることだ。そうすれば勝てる。自分の価値を信じるなら、パンチを恐れるな。他人を指して自分の弱さをそいつのせいにするな。そんなのは卑怯者のすることだ。

このロッキーの痛烈な"パンチ"が激しく胸にひびくのは、このメッセージが息子ロバートばかりでなく、映画を見る全ての観客に向けたものだからなのだろう。このシーンはずしんと俺の心臓を打ち抜いて、今もその衝撃が残っている。さらにこの激しいパンチはワン・ツー・とばかりにもう一息続く。

お前はそんな卑怯者じゃない。俺はお前を信じている。


息子とのわだかまりを解消し、何かのスイッチが入ったように画面は一転してロッキーのトレーニングシーンへと移る。このトレーニングシーンは本当に感動する。あまりにも有名なロッキーのテーマはロッキーの人生の再始動を祝うファンファーレのようであり、全身の細胞が沸騰するような高揚感湧き出して止まらない。画面一杯に汗を飛ばし、自らの体を苛め抜いているのはロッキーであり、スタローンであり、本当の還暦のオヤジそのものである。その事実に興奮が抑えられない。前半丁寧に描かれたロッキーの魂の燻りはここで一気に燃え上がり、最後のファイトシーンへとつながり、やがて巨大なカタルシスへと昇華される。この間手に汗を握りっぱなしである。


年齢を鑑みずリングに上り、世間の嘲笑を買おうとしていた父に当初疎ましさを感じていたロバートは、世界チャンピオンと堂々戦う父の壮絶な姿を見て絶叫する。
「父さん、頑張れ、もう誰も笑っていない」
思えば60近いスタローンが旬を過ぎたロッキーをいまさら撮影するということは相当な失笑を買ったに違いない。これはスタローンの大きな挑戦であったはずだ。そして、この挑戦に対する成功はこの映画を見れば明らかである。このロッキーを見せられて、誰もスタローンの挑戦を笑えない。そして、人生に挑むというスタローンのメッセージを感じ取れずにはいられない。


映画には映画館で見るべき作品というものが確実に存在する。ロッキーザファイナルはまさしくその類の映画だ。色々と頭で考えるのではなく、魂で感じるような映画である。
色々と都合がつかず、やっとのこと見ることができたが、本当に映画館で見ることができてよかった。

映画館を出た後、大人気なくこぶしを振り回す自分がいた(またかよ)。