唐招提寺
唐招提寺は好きな寺の1つで、規模やモノの素晴らしさの割には人が少なくて静かである。今回思い立って9年ぶり位でこの寺に行ってきた。もともとこの寺の見所の1つは天平の甍で有名な金堂で、南大門をくぐってすぐ金堂の姿はなかなかに威厳があるのだが、残念ながら今は修復中なので拝むことはできない。その代わりに期間限定で金堂の三尊を間近に見ることができた。もちろん今回の大きな目的はこの三尊である。
日本の有名な仏像に千手観音がある。その名の通り千本の手を持つ観音様なのだが実際に千の手を持つ仏像はそう滅多に拝めない。1つは大阪藤井寺市の葛井寺の千手観音でもうひとつはここ唐招提寺の千手観音である。もうはるか昔の奈良時代の観音様なので当然痛みが激しく、こちらも改めて修理が必要なので千ある手がバラバラにされている。これは科学の技術が進んだ現代といえど骨の折れる作業だなあと感心するばかりである。後は本尊の盧遮那仏などもよく見えた。まあこの仏像は脱活乾漆造で乱暴な言い方をすればタダのハリボテなのだが霊気立ち込めるお堂の中で千年以上も人々から拝まれてきただけにただ事でないオーラを放っている。人の情念を千年以上も浴び続ければそりゃあ魂も宿るだろう。ここでしっかりと治療を受けて後世に永く受け継がれて欲しい。
その後これまた特別公開の鑑真和上像を拝見。鑑真と言えば仏法を伝えるために当時危険な航海にチャレンジし、目から光を失いながらも5度目の航海をようやく成功させ、日本に初めて戒壇を作ったという不屈の坊さんである。仏教に帰依するかどうかはさておいて、この壮絶なエピソードにはやはり敬服する。ところでこの鑑真が祀られているお堂には東山魁夷が障壁画を手がけている。これがまた非常に主張の激しい絵で鑑真への敬意が全く感じられず、個人的には非常に不満である。
白夜行
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2002/05/25
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仄かに明るく、しかし決して日の当たることの無い白夜のような人生を行く亮司と雪穂の物語。
なんとなく気になって読み始めたものの850ページという分厚さに憤死寸前。
物語は常に二人の周囲の人間からの目線で綴られ、そのために話の解釈も物別れしそうな遊びの部分が残されている。こんなストーリーテリングの手法を思いつき、なおかつ徹底して書ききってしまうところが東野圭吾のすごさなのかな。ドラマも全然見てなかったので、先入観無く楽しめた。
しかしながら個人的に筆者の技巧には感服するものの、ちょっと不満が無いわけでもない。雪穂は自分の人生をどのようにしたかったのか?これは間違いなく物語の核心の一つなのだが、ここも解釈の分かれてしまうところである。個人的にはここは筆者にビシッと書ききって欲しかったのだ。
☆4つ
手紙
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/10/06
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TSUTAYAでやたらDVDが並んでたのに洗脳され、なぜか小説を手にとって見る。
殺人罪で刑務所に入った兄のせいで、様々な差別に遭う弟の葛藤の話。
さてさて、差別が良くないとは分かってはいるものの、なぜかこの世から差別は無くならない。なんで人は差別をするのか?この辺がテーマの一つとなっているようである。その心理のメカニズムを淡々と綴る東野圭吾の筆力には舌を巻くばかり。
無学な兄の素朴な言葉で綴られた弟への気遣い溢れる手紙。兄のために未来を閉ざされ、兄の存在に悩み苦しむ弟。二人の気持ちのすれ違いが切なくて仕方ない。個人的に、ラストの一文は衝撃だった。
☆4つ
若冲展
京都相国寺の承天閣美術館にて。前から気になってましたがやっとこさ行けた。
明日6/3が最終とあって、事前アナウンスでは3時間待ち。実質は2時間待ちで入室できたけど、この時点でえら疲れやがな。
さてさて、本展示の目玉は二つ。金閣寺所蔵の50面に及ぶ水墨画の襖絵と、動植物をカラフルに描いた動植綵絵。
襖絵に関しては、50面を一連に並べるなど展示に工夫が見られるものの、部屋の間仕切りをそのまま再現したものではなく、やや残念。客の導線やハコのキャパもあろうが、やはり金閣寺の間取りをそのまま再現したものを見たかった。
動植綵絵は本当にすごい。幾千と筆を重ねる若冲の変態的な緻密さが円熟の域に達した頃の作品で、目が痛くなるほどのカラフルさと細かさである。ニワトリの持つ美しさをこれほどクローズアップしてるのも若冲くらいだろう。
一緒に行った相方は若冲の遺した文書にやたら感動していた。
「富も名声もいらんから、自分の絵がこのままずっと相国寺を飾ればいいと思う(みたいな内容)」
天神旗@上新庄
感想:マズイ
でか「どうも、でかです」
デカ子「こんにちわ、デカ子です」
でか「今回は上新庄の天神旗です」
デカ子「無鉄砲とならぶ関西のとんこつラーメンの雄ですね」
でか「うむ、4年ぶりに行きました。老醤油とやらを頼みました。まあこってりなトンコツってことです」
デカ子「確かにかなりこってりとしたトンコツですね」
でか「ですな、大変にまじめに作られたラーメンということがスープを一口飲んだだけでわかります」
デカ子「ですが・・・美味しいですか?ぶっちゃけ」
でか「・・・マズイ・・・ぶっちゃけ」
デカ子「なんというか、まじめなラーメンだけに言いにくいですが・・・」
でか「うむ、食べてるときはこんなものかなと思ったけど、怒りすら感じるほどではないが冷静に考えるとやはりマズイ・・・これはもう店主氏と俺の好みが圧倒的に合わないとしか言いようがないわけですが、ダシは濃いけど味というか旨みみたいなのがあっさりと感じたり、チャーシューが甘い味付けだったりなどはちょっとしんどかったですな。博多ラーメンというからにはチャーシューは塩っ辛いくらいでもいいと思うのだが」
デカ子「お店のにおいも気になりますね」
でか「まあ確かに養鶏場の匂いがしないでもないが、これはガンガンスープをとってるならある程度仕方なかろう。個人的にはまあ問題なしです」
デカ子「なにしろ人のこと言えない体臭ですからね」
でか「・・・まあそれもある」
ロッキー・ザ・ファイナル
エイドリアンが死んで孤独と燻りを感じながら余生を過ごしているロッキーが、テレビの企画をきっかけに再びリングに上り、現役世界チャンピオンと戦う。まあストーリーは大変にベタな展開で、結末もだいたい想像通りである。派手な演出はほとんどないし、終盤以外はフィラデルフィアのダウンタウンが淡々と映る地味な映画であった。しかし、物語の中にはキラ星のように輝く忘れられないシーンがいくつも散りばめられている。
物語の中で、ロッキーは偉大な父親の陰でコンプレックスを抱えていじける息子ロバートに激しく詰め寄る。
人生ほど重いパンチは無い。大切なことは、どんなに打ちのめされてもこらえて前に進み続けることだ。そうすれば勝てる。自分の価値を信じるなら、パンチを恐れるな。他人を指して自分の弱さをそいつのせいにするな。そんなのは卑怯者のすることだ。
このロッキーの痛烈な"パンチ"が激しく胸にひびくのは、このメッセージが息子ロバートばかりでなく、映画を見る全ての観客に向けたものだからなのだろう。このシーンはずしんと俺の心臓を打ち抜いて、今もその衝撃が残っている。さらにこの激しいパンチはワン・ツー・とばかりにもう一息続く。
お前はそんな卑怯者じゃない。俺はお前を信じている。
息子とのわだかまりを解消し、何かのスイッチが入ったように画面は一転してロッキーのトレーニングシーンへと移る。このトレーニングシーンは本当に感動する。あまりにも有名なロッキーのテーマはロッキーの人生の再始動を祝うファンファーレのようであり、全身の細胞が沸騰するような高揚感湧き出して止まらない。画面一杯に汗を飛ばし、自らの体を苛め抜いているのはロッキーであり、スタローンであり、本当の還暦のオヤジそのものである。その事実に興奮が抑えられない。前半丁寧に描かれたロッキーの魂の燻りはここで一気に燃え上がり、最後のファイトシーンへとつながり、やがて巨大なカタルシスへと昇華される。この間手に汗を握りっぱなしである。
年齢を鑑みずリングに上り、世間の嘲笑を買おうとしていた父に当初疎ましさを感じていたロバートは、世界チャンピオンと堂々戦う父の壮絶な姿を見て絶叫する。
「父さん、頑張れ、もう誰も笑っていない」
思えば60近いスタローンが旬を過ぎたロッキーをいまさら撮影するということは相当な失笑を買ったに違いない。これはスタローンの大きな挑戦であったはずだ。そして、この挑戦に対する成功はこの映画を見れば明らかである。このロッキーを見せられて、誰もスタローンの挑戦を笑えない。そして、人生に挑むというスタローンのメッセージを感じ取れずにはいられない。
映画には映画館で見るべき作品というものが確実に存在する。ロッキーザファイナルはまさしくその類の映画だ。色々と頭で考えるのではなく、魂で感じるような映画である。
色々と都合がつかず、やっとのこと見ることができたが、本当に映画館で見ることができてよかった。
映画館を出た後、大人気なくこぶしを振り回す自分がいた(またかよ)。